MUKU-DATA  栃一枚板
いい絵とはそれぞれの人の心に響き、多くの解釈をそれぞれができる絵・・みたいな事を
何かが読んだ記憶があるが、
確かにそうだなって思う。
これはどこどこのだれだれが書いて、沢山の受賞をして、海外でも評価が高いと言われても
響かないものは響いてこない。
その絵や技術的な事に対して自分自身にもっと知識があるならば、響くところもあるのかもしれないが、
ピュアな感情には刺さってこない。
絵然り、書も生け花も音楽も建築だって、もう少し歴史や背景など知識や教養があれば
違った見え方もできて少しは心に触れることはあるのかもしれないが、、
なんといっても素人の無垢な心に響くことの方が本物のような気がしたりする。
木に対しても、同じようなことが言えるのかと思う。
木はそれぞれの人がそれぞれの解釈が可能なものだと思う。
日々の個人的な感情の違いでも見え方は変わり、、
同じ木でも昨日までよく見ていたはずなのに、今日は新たな発見にハッとさせられたりする。
昨日ウッドレジンを製作しているお客さんの所へ行った際、
うちから買っていただいた栃の一枚板が立て掛けてあった。
天板として横に展示していた時は気づかなかったが、
木表の凹んだ部分が何かに見えてきた。
木はそういった見え方もする。
以前、一位の床柱を納め、数年したら色が濃くなると同時にその杢目から
お釈迦様が現れて有難がられたことがあった。
春の訪れを知らせる妙高山の雪形「跳ね馬」なんかもそうだと思う。
自然にできた模様に対して人は感情移入してそれぞれの解釈をする。
自然の産物である木と人の関係には
そういった部分もあるのかと思う。

コメントを残す